前川國男の"高層建築への嚆矢"と"石橋を叩いて渡る"姿勢

橘川雄一|2024.5
呉服橋(現 東京都中央区八重洲1丁目) 日本無尽本店(→日本相互銀行本店→三井住友銀行)の設計1950年の時の話。
日本無尽本店は今に繋がる"高層建築"の為の様々な技術に日本初で挑戦した建物である。全溶接鉄骨造、外壁にカーテンウォール工法そして構造体に軽量コンクリートブロックなど当時の最新技術を用いた建築である。別な言い方をすれば日本で初めて"軽くする"ことがテーマとなった建築という事ができる。
私は二回り(24歳)上の先輩(田中清雄さん)に設計時の前川國男の態度を聞く機会を得た事がある。
「前川先生は観念として"軽くする"と言っていたわけではない。本当に使用する部材一つ一つの重さを計り全体のバランスを取りながら一歩一歩 "軽くし高層可能な建築への目標"に向かって設計を進めていた。(先輩田中)」
戦後日本の建築を引張った前川國男の慎重な態度を、軽挙妄動しがちな私を嗜める様に『石橋を叩いて渡る』設計態度を語ってくれた。
『石橋を叩いて渡る』は「注意に注意を重ねて慎重に物事を行なうこと」を言うと説明がある。
前川國男ほ決して決断力のない人ではない。その前川ですら外から見て過度に慎重になる必要があるほど、だれもが経験していないゾーンの中での設計作業を当時していた。」と先輩は語った。
その話を先輩から聞いて、『石橋を叩いて渡る』という言葉は私にとって「身を引き締めろ!」という前川國男の言葉と感じる様になっている。
"戦後"という時代を知らない方々には"社会の登り坂を身を粉にし全身全霊で歩む"という意は分かりにくいかもしれない。