槇文彦 断章

橘川雄一|2024.6
槇文彦が亡くなりました。95歳、建築家としてすべてが揃った方でした。

前川國男のもとで設計活動を始めた1970年代後半、前川には子どもがいない所為か45歳離れた小童でも自宅によく呼んでくれた。ある時前川邸玄関で声がする「マキデース!」と。出てみるとそこに槇文彦がいる。「美味しいジャムが手に入ったので持ってきました。」と。 前川も「やあ ! 」と言って片手を上げ嬉しそうに応対している。
私が前川國男と槇文彦の関係の近さをその時初めて知った。

アラブ首長国連邦UAEで国家主催の建築コンペがあった。
前川國男は国際コンペを取っての仕事もあるので、参加の検討をした。審査員に槇文彦の名前があり「彼に信頼できるコンペか聞こう」と言うことになり、前川國男が槙文彦を国際文化会館に呼んだ。前川國男、田中誠そして私で槙文彦を囲んで昼食を取った。槙からは「きちんとしたコンペです」との回答があったが、それ以外は二人で楽しそうに建築談義をしていた。前川國男は造園に対しても造詣が深いので、ルーブル宮の話などをしていたことは何故かわたし鮮明に記憶に残っている。

先年東京オリンピックのザハ・ハディドのコンペ通過案に対して、槇文彦は「神宮外苑という"神域"にたいするスケール館の喪失」的な発言をして強い調子で批判した。建築家槇文彦が反対すると言うことは、彼の影響力を鑑みればこの案の実施はないだろうと多くの人は感じたと思う。そして本当にザハ案は安倍首相判断で撤回された。


2年ほど前に代官山アートギャラリーに私の支援する彫刻家中谷ミチコさんの作品展があった。展示室内に上品なご婦人がいて中谷さんのことを話した。会話の最後に「この建物は槙文彦さんが設計され、・・」と言いましたら「私の父です」と言われました。槙文彦のご長女でした。驚きました。彼女から"朝倉邸"の槇文彦の講演があると聞き、代官山テラス講演室でその講演を聞きました。90歳を超えていましたが、極めて明晰な話と力強い語り口で驚きました。"槇文彦健在なり!"と感じました。

槇文彦の家柄は「たゆたえども沈まず(原田マハ著)」に詳しい。
国立西洋美術館を形作った松方コレクション、その主人公は松方幸次郎である。その生き様とフランスでの作品コレクションを扱ったのが『たゆたえども沈まず(原田マハ著)』である。 そこに記されている人脈、松方の右腕として活躍したのが松本重治(のちに国際文化会館理事長)。前川國男とは極めて距離の近い方(友人)であるが、松本は松方幸次郎の娘と婚し、その娘が槇文彦と婚し・・。松方から女系で槇文彦夫人まで3代で繋がる。
『たゆたえども沈まず』の中に知己の方が出て来るのでイキイキとした感じを持ちながら読了することが出来た。