MIDOビルの思い出
橘川雄一|2024.8
前川國男の設計拠点は歴史的には2カ所あります。
一つ目は今 東京小金井にある“江戸東京たてもの園”、そこに移築されている木造の前川邸。品川区上大崎に1942年に戦時資材統制の中建設されました。設計担当したスタッフが「俺が設計したんだよ」という言葉が妙に印象的でした。また夜遅くまでスタッフが仕事をするので奥様が参ったとは有名な話です。
2つ目が四谷駅歩5分新宿区本塩町にあるMIDOビル(1956年建設)。コルビュジエ来日時にMIDOビルを来訪し全員と撮った写真は皆の記念でしょう。私は1975年に前川事務所に入所し12年間MIDOビルに通いました。
B1F〜3F RC造です。
コルビュジエの「新しい建築の5原則」のうち、"ピロティ"、"自由な平面"、"自由な立面"、"独立骨組みによる水平連続窓"、までを忠実に守った建築だった。ただ5番目"屋上庭園"は不要と考えたのだろう。
前川國男事務所設計室は3Fにありました。
内外装RC打ち放しですから暑かったです。屋上に水を張って断熱を試みましたがむしろ漏水が問題になってしまいました。鋼製建具(普通鉄)だったのでシャープなデザインで格好良かったのですが開け閉めには苦労しました。
前川國男先生の部屋は2〜3F吹抜けの部屋。南側全面ガラス。窓前に樫の樹木が葉をたゆらせて、我々が2階で待って3階から先生が吹き抜け階段を降りてくるのを見ると、大向こうから「大将❗️」と声がかかりそうに様になっていました。
この地、ちょっと特殊で北側が崖地になっています。故に地下室に立派な窓があります。
工業デザインの柳宗理事務所は地下に存していたのですが、大きな立派な窓がありとても明るい事務所でした。各種の高名なデザインが生まれていきました。今高速道路でふつうにみる“斜張橋”も初期のころは柳宗理さんがリードされて、普遍性を獲得されました。私も時々庭で模型を見ました。
実は同じく地下に前川國男事務所の“宝”がありました。図面庫です。私はここに入るのが大好きで時々、中にあるかつての名建築、東京文化会館、紀伊國屋書店本店などの原図を拡げてみていました。最終的に決まるデザインに至る途中のスケッチが得も言われずきれいで迫力がありました。
東京文化会館が、初期段階では今の正岡子規球場の敷地まで含んでいたこと、後日 当時担当した大高正人が「敷地を削られたのでその分屋上に載せなくてはならず形が悪くなった」といったのを、その図面を見て理解しました。
紀伊国屋書店本店(現存)も1階入り口周りの壁デザインは大理石を用いたりしたデザイン等複数種検討されていたことを知りました。床パターンも気が遠くなるほどの緻密さで何枚も書かれていて先輩たちの“建築”に対する思いそして苦労を強く感じていました。
前川國男が残した痕跡を感じる機会があったことは貴重な体験でした。皆さんにもこの幸せを感じていただく機会を作るのも、元所員の役割かなとも思っています。
一つ目は今 東京小金井にある“江戸東京たてもの園”、そこに移築されている木造の前川邸。品川区上大崎に1942年に戦時資材統制の中建設されました。設計担当したスタッフが「俺が設計したんだよ」という言葉が妙に印象的でした。また夜遅くまでスタッフが仕事をするので奥様が参ったとは有名な話です。
2つ目が四谷駅歩5分新宿区本塩町にあるMIDOビル(1956年建設)。コルビュジエ来日時にMIDOビルを来訪し全員と撮った写真は皆の記念でしょう。私は1975年に前川事務所に入所し12年間MIDOビルに通いました。
B1F〜3F RC造です。
コルビュジエの「新しい建築の5原則」のうち、"ピロティ"、"自由な平面"、"自由な立面"、"独立骨組みによる水平連続窓"、までを忠実に守った建築だった。ただ5番目"屋上庭園"は不要と考えたのだろう。
前川國男事務所設計室は3Fにありました。
内外装RC打ち放しですから暑かったです。屋上に水を張って断熱を試みましたがむしろ漏水が問題になってしまいました。鋼製建具(普通鉄)だったのでシャープなデザインで格好良かったのですが開け閉めには苦労しました。
前川國男先生の部屋は2〜3F吹抜けの部屋。南側全面ガラス。窓前に樫の樹木が葉をたゆらせて、我々が2階で待って3階から先生が吹き抜け階段を降りてくるのを見ると、大向こうから「大将❗️」と声がかかりそうに様になっていました。
この地、ちょっと特殊で北側が崖地になっています。故に地下室に立派な窓があります。
工業デザインの柳宗理事務所は地下に存していたのですが、大きな立派な窓がありとても明るい事務所でした。各種の高名なデザインが生まれていきました。今高速道路でふつうにみる“斜張橋”も初期のころは柳宗理さんがリードされて、普遍性を獲得されました。私も時々庭で模型を見ました。
実は同じく地下に前川國男事務所の“宝”がありました。図面庫です。私はここに入るのが大好きで時々、中にあるかつての名建築、東京文化会館、紀伊國屋書店本店などの原図を拡げてみていました。最終的に決まるデザインに至る途中のスケッチが得も言われずきれいで迫力がありました。
東京文化会館が、初期段階では今の正岡子規球場の敷地まで含んでいたこと、後日 当時担当した大高正人が「敷地を削られたのでその分屋上に載せなくてはならず形が悪くなった」といったのを、その図面を見て理解しました。
紀伊国屋書店本店(現存)も1階入り口周りの壁デザインは大理石を用いたりしたデザイン等複数種検討されていたことを知りました。床パターンも気が遠くなるほどの緻密さで何枚も書かれていて先輩たちの“建築”に対する思いそして苦労を強く感じていました。
前川國男が残した痕跡を感じる機会があったことは貴重な体験でした。皆さんにもこの幸せを感じていただく機会を作るのも、元所員の役割かなとも思っています。