前川國男が目指した社会

橘川雄一|2017.2
国立西洋美術館が2016年世界文化遺産に登録されました。TVが、「コルビュジエの弟子3人が協力して建物を実現させた」と伝えました。
前川國男は私の師です。1905年生まれ1986年に亡くなっています。私(橘川雄一)は学卒して直ぐに前川國男の門をたたき、1975年に入所いたしました。
ユネスコは世界7カ国にあるル・コルビュジェ設計の建物17作品を"世界文化遺産"に登録をしました。その中に上野公園にある国立西洋美術館があります。発表時TV での紹介で「コルビュジェは西洋美術館建設中に1回しか日本に来なかった。しかしコルビュジェ事務所で学んだ日本人建築家3人がコルビュジェの図面に基づき(極めて簡単な図面です)精度の高い建物に作り上げた」と語っていました。そのうちの一人、最初にコルビュジェ事務所に行き学んだのが前川國男です。世界が"近代"という様式に大きく舵を切りつつあるときに鋭く反応し、その精神そして情報を求めて、東京大学卒業式のその日にシベリア鉄道に乗ってパリ、コルビュジェ事務所に行きました。3年間コルビュジェ事務所で薫陶を受け、"近代"という"建築"を日本に持ち帰り、自作を通して敷衍化した人です。代表作品に"東京文化会館"、"東京海上火災(現東京海上日動)本社ビル" があります。
13年間私は前川國男を身近でみてきました。"明治" (1868〜1912)という時代に生(せい)を受けた"時代のエリート"、西洋(ヨーロッパ文明)に対しての強い憧れを身体に宿した方でした、辰野金吾と足場を同じにしていたと思います。"水"は西洋から日本に流れていました。確かに"1000年に1人の天才"は西洋文明の中にしかいません、フィディアス、ミケランジェロそしてル・コルビュジエ。コルビュジエの精神を日本に花咲かせようと努力をしました。
ただ、前川國男も"明治時代に生まれた日本人"です。晩年は日本 (東洋) 的な美学を言葉にする事も多く、プランを描くときに"気韻生動"あるいは"一筆書き" という書道(書画)言葉を使いながら美しいプランを求めていました。
前川が亡くなって30年という時が過ぎました。今の時代、1900 年代にあった"西洋"も"東洋"も無く、通時代的に通地域的に、美学は積層され、"文化(regional) から"文明(global )"へと流れは止めを知りません。前川國男が目指した社会が実現し続けているのかも知れません。