前川國男とジャガー
橘川雄一|2024.8
"ブリュッセル万国博覧会"、1958年に開催された所謂"エクスポ"、この建物を前川國男は政府から依頼を受けて設計監理をした。まだエクスポに"未来"を強く感じていた時代、前川も意気に感じて未来的な感覚での建物を設計している。
"ミキモト"と言えば"真珠".。その御木本が真円でない真珠は全て捨てるという話を聞き、パビリオン中庭に"御木本バールの傷ものを山と積む"という提案を御木本幸吉にしたが言下に断られた。彼が認める".真珠"以外世に出さない主義、出来たら眼を見張っただろう、あの高級な真珠(ただ歪んだ真珠=バロックそのもの)が山と積まれる光景なんて。
添付する写真、ブリュッセル博覧会、前川國男と木村俊彦が写っています。木村は構造とデザインを繋げた天才構造家、前川事務所の所員でした。後に谷口吉生、磯崎新の作品の構造に携わります。また写真の中庭が真珠(バロック)を山と積む提案の場所です。
車・ジャガーの話。
前川國男は車の好きな人だった。私が勤務している時は、2台。ボルボ164とジャガーXK-150 2ドアオーブンカーを運転していた。お昼は目黒の自宅でとっていたのでボルボで往復、時に気分が乗ると、スポーツカーらしい音をたててジャガーを事務所から出していた。
このジャガー(前川さんは英語の正しい発音でジャギュア(と私には聞こえたが)は、前記"ブリュッセル博覧会"建物、現地に監理者として派遣していたスタッフに在外大使館員扱いで購入させたもの。
3400cc SUツインキャブエンジンを積む高性能車だった。トランクキーカバーのバッジに"LE MANS wins in 1960-1961"と書かれていた。「ルマンに勝った車なんだ」とまだダットサンがやっと走り始めた日本との差をまわりは感じただろう。
春先によく前川さんはゴルフの後ミヨ夫人をこの車に乗せ箱根に咲くサクラを観に行っていた。おしゃれな方だった。
この車はいつもMIDOビル脇に置いてあり、またその近くに柳宗理さんのフォルクスワーゲンビートル(かなりの初期型)が置いてあり、車好きの方からは"垂涎の眼差し"いっぱいの光景だったろう。
"ミキモト"と言えば"真珠".。その御木本が真円でない真珠は全て捨てるという話を聞き、パビリオン中庭に"御木本バールの傷ものを山と積む"という提案を御木本幸吉にしたが言下に断られた。彼が認める".真珠"以外世に出さない主義、出来たら眼を見張っただろう、あの高級な真珠(ただ歪んだ真珠=バロックそのもの)が山と積まれる光景なんて。
添付する写真、ブリュッセル博覧会、前川國男と木村俊彦が写っています。木村は構造とデザインを繋げた天才構造家、前川事務所の所員でした。後に谷口吉生、磯崎新の作品の構造に携わります。また写真の中庭が真珠(バロック)を山と積む提案の場所です。
車・ジャガーの話。
前川國男は車の好きな人だった。私が勤務している時は、2台。ボルボ164とジャガーXK-150 2ドアオーブンカーを運転していた。お昼は目黒の自宅でとっていたのでボルボで往復、時に気分が乗ると、スポーツカーらしい音をたててジャガーを事務所から出していた。
このジャガー(前川さんは英語の正しい発音でジャギュア(と私には聞こえたが)は、前記"ブリュッセル博覧会"建物、現地に監理者として派遣していたスタッフに在外大使館員扱いで購入させたもの。
3400cc SUツインキャブエンジンを積む高性能車だった。トランクキーカバーのバッジに"LE MANS wins in 1960-1961"と書かれていた。「ルマンに勝った車なんだ」とまだダットサンがやっと走り始めた日本との差をまわりは感じただろう。
春先によく前川さんはゴルフの後ミヨ夫人をこの車に乗せ箱根に咲くサクラを観に行っていた。おしゃれな方だった。
この車はいつもMIDOビル脇に置いてあり、またその近くに柳宗理さんのフォルクスワーゲンビートル(かなりの初期型)が置いてあり、車好きの方からは"垂涎の眼差し"いっぱいの光景だったろう。