建築文化に対するアメリカ人と日本人の差

橘川雄一|2024.11
フランク・ロイド・ライト(1867-1959)という建築家は日本では旧帝国ホテル(日比谷)設計で名高い。また"世界での20世紀3大建築家"などと言われると必ず名前の上がる建築家である。

21世紀初頭、私はシカゴに仕事で行った折に彼の初期の仕事(作品)を見る機会があった。
場所はシカゴ郊外オークパーク、いまライトの記念館(フランク・ロイド・ライト・ホーム&スタジオ)があり多くの人が集まる。私もその1人。
ライトは1889 年から 1909 年まで、建築家としての最初期キャリア20 年間をここで詰み、近隣に10 棟以上の個人住宅と数棟の公共建築物(ユニティテンプル・国定歴史建造物)を彼特有のプレイリー様式で作っている。(写真誌「GA」に二川幸夫撮影のオークパークのライトの住宅作品集がある)

個人的な経験を語る。私はオークパーク駅からスタジオを目指して歩いていてやや道に迷った。近くにいた中年の女性に道を聞いた。RとLの発音の曖昧な私の英語に彼女はやや戸惑ったが、正しく"Frank・Lloyd・Wright"と言い直して道順を教えてくれた。暫く歩いているとホンダの車が横に止まった。先ほどの女性。「お乗り下さい」と言う。わざわざの好意に感謝をして乗せて頂いた。彼女はしばらく走り「ここがライトホーム&スタジオ。後でまた来るが他の建築を案内する」と言って近隣に点在するライト建築を回って案内してくださった。
「この建築は火事で焼失したが図面があるので再建築した。」等々どれだけこの街がライト建築を大事にしているかを案内しながら語ってくれた。彼女はふと私に聞いた「確か日本にありますね、ライト建築が」と。私は現存は神戸・山邑邸なので、その名を言った。彼女は「帝国ホテル・・」の名を言う。既に解体されている。私は素直に「現存しない」と言った。彼女は「地震? 爆撃?」。 「by owner’s request! 」と答えるわたしの顔をじっと見て、その後何も語らずライトスタジオに送ってくれて別れの挨拶だけをした。
彼女の顔は明らかに日本人の文化性に対する失望感を示していた。「我々がこの小さなライト作の住宅をこんなに誇りを持って100年以上大事にしているのに」と言う眼差しで。
私の心は傷んだ、せめて「部分だけでも と、名古屋犬山に移築している」と言うべきだった。
日本に帰り知性の或る友人にこの話をした。友人はいう「日本人の文化に対する意識は紛れもなくその程度ですよ」と。
それ以来"相手の空気"を読むことがどれだけ大事かをいつも気にして会話をしている。
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